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4. プロヴァンスの生活 LA VIE

プロヴァンスの人々は陽気であると同時に、誇り高くもあります。
何せ、フランスの首都パリは、10世紀になるまで辺境地であり、しかも北方ゲルマン系によって確立したもの。一方、地中海世界まっただ中のプロヴァンスは早くからギリシアやローマの影響を受けた文化の先進地で、15世紀になるまで独立性を保っていました。言葉も違えば文化も違うわけで、ちょうどそれは、京都と東京のような関係にあるといってもいいかもしれません。
上記のような、お堅いことを抜きにしても、プロヴァンスには伝統文化が日々の生活の中にしっかり根付いていて、観光や留学などで訪れる者に対しても、その素晴らしさや豊かさを実感させてくれます。

▼もくじ
朝市(マルシェ)花・植生プロヴァンス語
音楽と楽器お祭り(カレンダー、カンヌ映画祭、F1GP、闘牛)人気スポーツ(ペタンクとサッカー)オススメ図書

朝市(マルシェ) Marche

地元の生活を肌で感じられるのが朝市(マルシェ)の醍醐味。どの街でも決まった日にマルシェが立ち、朝早くから昼過ぎまで旧市街が活気付きます。花や魚はもちろん、トマト、アスパラ、インゲン、メロン、カボチャ、レモンなどの色彩豊かな果物や野菜、チーズ、オリーブ、はちみつ、ハーブ、アンチョビ、パン、サラミなど、その土地の特産物や味覚が並んで、プロヴァンスの豊かさを実感。

店の人を冷やかしながら見て回るのが楽しく、ついついあれこれ買ってみたくなるものです。留学当初は、店は早くしまるしコンビニがないなんて本当に不便だなあと思いましたが、人々がカゴを持って「肉は肉屋で、魚は魚屋で、野菜は朝市で」と買い物する姿をみるにつけ、心の豊かさとはなんだろうかと考えさせられるようになりました。


朝市の立つ曜日
都市
リル・シュル・ラ・ソルグ(骨董市)
カヴァイヨン
エクス、ゴルド、タラスコン
アルル、サン・マクシマン、サン・レミ、サロン
エクス、オランジュ、ルシヨン、リル・シュル・ラ・ソルグ
カルパントラ(トリュフ市)、シャトーヌフ・デュ・パプ、ボニュ
アプト、アルル、エクス、サロン



エクスのマルシェ(郵便局裏の魚市)

 

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花・植生 Fleures

毎月色とりどりの花が果物や野菜とともに野山や市場を彩り、それもプロヴァンスのおおきな魅力の一つといえます。

パンジー(la pensee):春先
黄や濃紺の花を絶えず咲かせて、軒先に色を添える可愛い花。

ミモザ(le mimosa): 2〜3月
山という山がレモンイエローに萌えて、春の訪れを告げます

   

すずらん(le muguet): 5月
5月1日に女性に送る、白く可憐な花。

アーモンド(l'amandier): 4月
ちょうど花見が恋しくなる時期に桜のような花をつけます!

   

ふじ(la glycine): 5月
アルルのローマ劇場の入り口に咲いて、とても情緒的です

 

ヒナゲシ(le coquelicot): 5月
プロヴァンスの大地が情熱で燃えているようです
   

ラヴェンダー(la lavande): 6〜7月
郊外に出ると涼やかな香りがいっぱいで爽快です

ヒマワリ(le tournesol): 7月
見渡す限りの黄色いじゅうたんで、陽気な気分にさせてくれます

   

キョウチクトウ(le laurier-rose): 7〜8月
高速道路脇にも植えられるほどに丈夫で且つ華やか

ブーゲンビリア(la bougainvillée): 7〜8月
南国らしい濃いピンクに咲き乱れます

   

オリーブ(l'olivier)
ゴツゴツした木肌がおじいさんの手のようです

オリーブ(l'olivier)

   

プラタナス(le platane)
広場や並木で木陰を作って、強い日ざしから守ってくれます。

プラタナス(le platane)
晩秋になると紅葉してスズのような実をつけます。

   

糸スギ(le cypres)
まっすぐ空高くのびる姿は見ていて気持ちがいい

ぶどう(la vigne)
石灰岩質の土と日照時間の長さが美味しいブドウを秘けつ


基本編「プロヴァンスの味覚」>「アロマ・ハーブ
基本編「プロヴァンスの工芸品」>「ラヴェンダーとラヴァンダン
写真館「プロヴァンスの花

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プロヴァンス語 Dialectes provencaux

いわゆる「プロヴァンス語」「プロヴァンス訛り」あるいはプロヴァンス地方で使われている方言は、"le provencal"あるいは"lou provencau"と呼ばれ、標準フランス語とはだいぶ異なる地方言語です(以降、「プロヴァンサル」といいます)。
その歴史をみると、プロヴァンスがフランス化していく過程と密接に関連していることがわかると同時に、地方独特の言葉や伝統文化を大切にするプロヴァンスの人々の思いと誇りを知ることができます。 また、イタリア語とスペイン語とポルトガル語はお互いに似ているのに、なぜ地理的に中間点にあるはずのフランス語だけ似ていないのか?という疑問への答えも見えてきます。

ラテン系言語におけるプロヴァンサルとオック語
プロヴァンサルは、フランス南部の1/3を占めるオック語に属します。ラテン語を起源とする言語「ロマンス語」のうち、主に現在のフランス内で使われている言語は、北部の標準フランス語(オイル語系)、東部のフランコ・プロヴァンス語、南部のオック語の3系統に分かれますが、プロヴァンサルはこのオック語系の一方言です。オック語系の方言には、リモージュ、オーヴェルニュ、ドフィーヌ、ラングドック、ガスコーニュがあり、話者の人口は150万人を数えます。
プロヴァンサルは、旧プロヴァンス地方、旧ドフィネ地方、ラングドックのニーム周辺および北イタリアのピエモンテ山岳地帯で使われており、プロヴァンスの人々はプロヴァンサルを他のオック語系言語と一線を画す言語と考え、もちろん標準フランス語とも異なる言語とみなしています。実際に、標準フランス語よりもイタリア語やカタロニア語に近く、プロヴァンサルはこうしたラテン語系言語に囲まれた、中間的な言語であるといえます。
なお、政府の標準フランス語化政策によって、プロヴァンサルの話者の大多数が50歳以上となっています。
ちなみに、オイル語(langue d'Oil)とオック語(langue d'Oc,Occitan)の呼称自体は、「はい(Oui)」を意味する言葉に由来します。

中世
12世紀に、地中海沿岸地域はローマ以来の交易によって都市経済を維持して、イスラム侵入の打撃からも立ち直ったわけですが、その地域の言語としてのオック語は、ローマ以前から使ってきた口語ラテン語から発展し、北西スペイン〜南フランス〜北イタリアの国際共通語となりました。
このオック語の多様性は、この時代に勢力を伸ばしたサラセン(イスラム)や異端カタリ派の影響を受けて、輝かしい文学を生みだしました。すなわち吟遊詩人「トゥルバドゥール」(右図)が、ヨーロッパ各所の口承文学を基に、
騎士道(忠誠・武勲)や貴婦人への無償の愛をテーマに、オック語で繊細な詩を作り、ヨーロッパ各地の宮廷を遍歴しました。こうして「ロマンスを語る」という表現が生まれることになります。ちなみに、カトリック教会にとって歌(グレゴリオ聖歌)は一種のマインドコントロールの道具に活用されていたため、トゥルバドゥール民衆を惑わす不埒なものとして、歓迎されませんでした。
一時はフランス以外の宮廷でも教養人の言語となるほどでしたが、13世紀のアルビジョワ十字軍(小説「オクシタニア(上・下)」参照)でトゥルバドゥールの庇護者であったラングドックの諸侯が壊滅状態になると、北フランスやドイツに伝播しましたが、この詩風も次第に飽きられ、16世紀を前に姿を消してしまいました。
なお、この時期、オック語圏のオック語系方言と同様に、プロヴァンサルはプロヴァンスにおいて日常会話で使われる言語でした。

一方、フランス北部では、ゲルマンの影響を強く受けて発達した俗ラテン語がオイル語となり、他のロマンス語と区別されるほど大きく変化しました。中でも、カペー王朝の首都パリおよびイル・ド・フランス地方のフランシアン方言が、王権の拡大とともに標準語化していきます。 そして、アルビジョワ十字軍で南部に北方諸侯による支配が広がると、オイル語が浸透して文語としてのオック語は大きく衰退しますが、口語としてのオック語は生き残りました。


ラテン語からフランス語へ

16世紀以降
プロヴァンスは徐々にフランス王国の勢力範囲に含まれるようになります(1486〜1790年は協力者的立場として独立状態を保ちましたが、最終的にはフランスに併合)。1539年、フランソワ1世の「ヴィレ・コトレの勅令 l'edit de Villers-Cotterets」によって、標準フランス語の使用が法律文書において義務付けられ、さらに文学的にも政治的にも権威のある言語となりました。プロヴァンスにおいて、プロヴァンス語は19世紀になるまでさほど使用されることがなく、文学作品も細々と発表されるにとどまりました。

19世紀以降
市民革命後、標準フランス語の使用義務政策が断行されます。その反動として、1830年頃からロマン主義に影響されて、フランス国内のマイノリティー言語に真の「ルネッサンス」を引き起こしました。中でも、詩集が出版されるようになっていたプロヴァンス語において、フレデリック・ミストラルFrederic Mistral(1830-1914)が1854年に提唱した、オック語圏文芸復興運動「フェリブリージュ(FELIBRIGE)」は特筆すべきです。プロヴァンス語の統一・民族意識の高揚・パリ中心の中央集権体制からの離脱とプロヴァンスの栄光の回復を目指しました。
ミストラルの、忘れられたプロヴァンス語による文学作品の国際的な成功(1904年、プロヴァンス語長編叙事詩「プロヴァンスの少女−ミレイユ"Mireio"」でノーベル文学賞受賞)は、プロヴァンスの人々にプロヴァンス語への愛着を呼び起こしました。以来今日に到るまで、プロヴァンスの多くの作家、学者、クリエーター、市民によって支持されたプロヴァンス語は、この地方のアイデンティティーの中心的役割を担ってきました。
なお、ミストラルは、口語だったプロヴァンス語に近代的な綴りと辞書などの道具を考案し、ノーベル賞の賞金でアルルにアルラタン博物館を完成させ、プロヴァンスの文学作品・絵画や衣装などの民俗資料を集めるなど、プロヴァンス文化の保護に多大な貢献を果たしました。

20世紀
1920年代には、口語の標準フランス語がプロヴァンスにも浸透するようになり、ついに1950年代には「プロヴァンス訛りprovencalisee」という形で、プロヴァンスの子供たちの母国語となりました。当初は、標準フランス語とプロヴァンサルのバイリンガルが多かったのですが、次第に標準フランス語が単一言語となりました。今では、プロヴァンス語だけを話す人はほとんどいなくなりましたが、50代以上の大多数がまだまだバイリンガルです。
また、「オクシタニスト」と呼ばれる急進的な主張が現れるようになりました。これは、中世に使われた書記法をベースにした標準オック文語を広めて、オック語圏の統一を目指す、というものです
(右図がオック語圏の旗)。しかし、このような動きも、地元に密着したプロヴァンサル固有の主張がすでに活発なプロヴァンスにおいては、あまり同調されていません。

今日
プロヴァンス語の継承はフランスの小学校教育には組み込まれていませんし、公の場で話されることが少ないとしても、地元住民の日常会話の中に脈々と息づいています。ダルボー、ドラブエ、ガルティエ、ベク、バイル、クルティ(D'Arbaud, Delavouet, Galtier, Bec, Bayle, Courty)といった偉大な作家たちの努力、アストラド、ユニオン・プロヴァンサロ、ルー・フェリブリージュ、パルララン、クレオ(L'Astrado, L'Unioun Prouvencalo, Lou Felibrige, Parlaren, CREO,)といった活発な運動、そしてプロヴァンス人の愛着によって、絶えることなくプロヴァンサルが使用され続けてきました。
いまや、プロヴァンスのどこに行ってもプロヴァンサルは読むことができるようになりましたし、テレビなどでも耳にすることができるようになりました。また、多くの雑誌、「マッシリア・サウンド・システムMassilia Sound System」といったラップグループを含めた歌手、学校や様々な学習プログラムで、プロヴァンスのオック語に触れる機会があります。また、 日本におけるアイヌや琉球の言葉と同様に、 地名、ことわざ、料理名などにプロヴァンス語の復活が見られます。

将来
フランスには「サントラリスト(パリ中央主義者)」が存在し、いまだに地方文化や言語に対する理解が高くはありませんが、EU統合によって各国のアイデンティティが見直される中、オック語やプロヴァンサルといった地方言語が、地元住民や政治家に「ポジティブなイメージ」をもたらすことでしょう(例えば、スペインでは4つの標準語があります)。
現に、2001年には文部大臣が、過去2世紀に渡ってフランス政府が地方言語を抑制してきたことを公式に認めた上で、これからは公立学校でフランス語と地方言語の2言語教育を実施するべきだと発言しました。

日本語
francais
provencau
こんにちわ bonjour bon-jour
さようなら au revoir adessias, au; reveire
ありがとう merci merci, gramaci
お城 le chateau lou casteu
la mer la mar


【地域による分類】
現在も使われているプロヴァンサルは、さらに、ロダニアン、マリティム、ニサール、ギャヴォの4つに分類されます。文法自体は同じなのですが、単語や発音などが違うようです。なお、ニサールと北部ギャヴォは独自の発展を遂げているため、プロヴァンサル話者間でさえ、相互理解が困難となっています。

プロヴァンサルの分類
使用されている地域
ロダニアン le rhodanien ローヌ河沿岸域(アヴィニョン、ニーム)、カマルグ(アルル)
マリティム le maritime マルセイユからヴァール川以西(カンヌ)まで、北はカステランヌまで
ニサール le nissart/le nicard(a) 旧ニース伯爵領、ヴァール川以東(ニース)からマントンまで
ギャヴォ le gavot 旧ドフィネ地方、リュベロンおよびアルプス地帯の大部分からイタリアの山間部まで

また、これらに加えて、ユダヤ系プロヴァンサル"Shuadit"がありましたが、ホロコーストが原因で、1977年に残念ながら、話者が絶えてしまいました。現在では歌などに残っているのみの、幻の方言です。

文献や歴史資料館などでプロヴァンス語の詩をみると、イタリア語やカタロニア語に似ていることを実感します。rの発音や-inなどの鼻母音も特徴的。陽気な老人の話し言葉に顕著で、bien(ビァン)が「ビェング」になったりして聞いていて面白いのですが、早口なこともあり、留学生には何をいっているかわからないことも多いです。若者の話し言葉ではあまり聞くことができませんが、それでも訛りはあると思います。
百聞は一件に如かず、映画「プロヴァンス物語」や「タクシー」を見れば、プロヴァンス訛りもマルセイユの街並みもたのしめちゃう!また、リキュールの「パスティス」とスポーツの「ぺタンク」がプロヴァンサルとセットで、プロヴァンスの枕詞です。


"Lexique touristique Francais - Occitan - Provencal":観光のためのフランス語・オック語・プロヴァンス語辞典
ラテン語からフランス語へ」: ローマ時代からはじまるフランス語の歴史

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プロヴァンスの音楽と楽器

【プロヴァンス・アンセム】

現在、プロヴァンス語はおじいさんおばあさんにしか使われておらず、残念ながら都心部の若い世代では話すことも読み書きもほとんど出来なくなってしまっています。しかし、「クポ・サント Coupo Santo(=聖なる杯)」という歌だけは別。結婚式のようなお祝い事やお祭りなどプロヴァンスの人たちが集まると、どこからともなくこのプロヴァンス語賛歌の合唱が始まります。地元に人に聞くと「これがプロヴァンス国歌だ(hymne provencal)」だと胸を張ります。

Coupo Santo(プロヴァンス語)
Coupe Sainte(フランス語訳)
クポ・サント(和訳)
Prouvencau, veici la Coupo
Que nous ven di Catalan ;
A-de-reng beguen en troupo
Lou vin pur de noste plant.

Coupo Santo
E versanto
Vuejo a plen bord
Vuejo abord
Lis estrambord
E l'enavans di fort !

Provencaux, voici la coupe
Qui nous vient des Catalans
Tour a tour buvons ensemble
Le vin pur de notre cru.

Coupe sainte
Et debordante
Verse a pleins bords
verse a flots
Les enthousiasmes
Et l'energie des forts !

プロヴァンスの民よ、
カタロニア人から贈られた杯だ。
さあ輪になって分かち合おう
我らのワインを

聖なる杯
あふれんばかりに
なみなみと注げ
いっぱいに注げ
歓喜と
力の源を


作詞はやはりこの人、プロヴァンスが誇るノーベル賞受賞者フレデリック・ミストラルによるもので(1867年)、17世紀のニコラ・サボリ作のクリスマスの音楽にあわせたものです。
ここでいう「聖なる杯」とは、フェリブリージュ(プロヴァンス文化保存運動)が匿ったカタルーニャの詩人たち(政治亡命者)から、帰国後に友好の証として贈られたものです。ですから実物もあり、曲のとおり、シャトーヌフ・デュ・パプを回し飲みするそうです。最後の晩餐のキリストの聖杯(サングラール、san graal)にもかけているのでしょう。プロヴァンスには聖杯伝説もあることですし。
なお、この歌はアルピーユ山脈やデュランス川などプロヴァンス西部で好まれる歌で、ニースを中心に19世紀までフランスから独立を守った東部には「ニッサ・ラ・ベッラ、Nissa,la bella」という歌があるそうです。今では同じ地域圏として扱われていますが、歴史や文化的にはプロヴァンスとコートダジュールでは必ずしも同一ではないことを示す好例ではないでしょうか。いずれにせよ、単にプロヴァンス語の歌詞だから珍しくて貴重というだけにとどまらず、プロヴァンスの人たちの「祖国愛」が込められた素晴らしい曲だと思いました。


"Coupo Santo" :プロヴァンス讃歌「クポ・サント」のプロヴァンス語歌詞・仏訳
"Nissa,la bella":ニース賛歌「ニッサ・ラ・ベッラ」のプロヴァンス語歌詞・仏訳とメロディー
You Tube - "Coupo Santo"
You Tube - "Nissa,la bella"

【プロヴァンスの民族楽器】
プロヴァンスの伝統音楽には2つの「古楽器」が用いられます。一人の奏者が笛吹きと打楽器奏者の二役を同時にこなします。すなわち、左手のガルーベ(3孔の縦笛)を吹きながら、左肩にかけたタンブーラン(胴長の太鼓)を右手のバチで叩きます。これを「ガルーベ=タンブーラン(Le Galoubet-Tambourin)」といい、奏者は「タンブリネール(tambourinaire)と呼ばれています。

ガルーベはリコーダーのような大きさで、ピッコロと同じ第6〜7オクターブでピーッという鋭い音を出します。一方、タンブーランはクルミ製で、皮と共鳴弦がハチの羽音のようにブーンブーンと絶えまない低音リズムを生み出します。中世やルネッサンス期ではより大きなフルートとより小さな太鼓が使用されていましたが、18世紀になると現在の形になりました。

「ガルーベ=タンブーラン」の演奏は、民俗舞踊「ファランドール(la farandole)」とともに、あらゆるプロヴァンス的なイベントに欠かせないものです。プロヴァンスのアイデンティティを呼び起こすものと言えるでしょう。また、中世ヨーロッパの大衆文化を今日に伝える貴重なものです。荘厳な教会音楽に対して牧歌的で素朴な音楽で、吟遊詩人の国オクシタニアにタイムスリップしたような錯覚を覚えます。一定のリズムが催眠効果があるのでしょうか。日本で言うとお神輿のお囃子ですね(あんなに早くないですが)。古楽ファンも一聴の価値アリです。

なお、この楽器はプロヴァンス特有のモノではなく、中世及びルネッサンス期にヨーロッパに広く普及し、現在でも、ポルトガル、スペイン、イングランド、バスクでも形を替えながら親しまれています。イングランドでは「パイプ&テイバー(Pipe & Tabor)」と呼ばれるようです。


Académie duTambourin エクスのプロヴァンス伝統音楽院
You Tube - "Présentation du Galoubet Tambourin"

【日本で知られているプロヴァンスの曲】

あんまり意識してないけど、身近なところにプロヴァンスを題材にした曲ってあるもんです。

アルルの女(L'Arlesienne)

アルフォンス・ドーデの「風車小屋だより」中の短編小説に基づく、ジョルジュ・ビゼー作曲の3幕の戯曲。第2組曲終曲のファランドールとは、プロヴァンスのフォークダンスのこと。「アヴィニョン橋の上で」の歌詞にもあるように、輪になったり前と後ろのヒトと手をつないだり曲に合わせてステップを踏みながらぐるぐる回る陽気な踊り。熱狂的なクライマックスにふさわしい。また、フランチェスコ・チレアが作曲した同名オペラでは、アリア「フェデリコの嘆き」が有名。


You Tube - "アルルの女"

アヴィニョン橋の上で

ローヌ河にかかる聖ベネゼ橋を歌う民謡(プロヴァンス語ではなく、フランス語による歌詞)。この橋には、羊飼いベネゼが神のお告げで巨石を礎石とした奇跡によって架けられたという故事がある。現在は洪水によって橋の半分以上が流されたままなのだが、それがまたフォトジェニックでもある。ところで、橋の上ではとうてい大勢が輪になって踊れるようなスペースがない。実は橋の下の中州で踊っていたのが、いつの間にか「上」に変化してしまった模様だ。フランス語だと下が「スー(sous)」が上が「シュル(sur)」。たしかによく似てて、日本人泣かせなんだけど、フランス人にとっても発音しにくいのかも?

Sur le pont d'Avignon

アヴィニョン橋の上で

Sur le pont d'Avignon,on y danse, l'on y danse,
Sur le pont d'Avignon,on y danse tout en rond.

1. Les beaux messieurs font comme ca
Et puis encore comme ca.
2. Les belles dames font comme ca. Et puis encore comme ca.
3. Les officiers font comme ca
4. Les bebes font comme ca
5. Les bons amis font comme ca
6. Les musiciens font comme ca
7. Et les abbes font comme ca
8. Et les gamins font comme ca
9. Les Laveuses font comme ca
河は呼んでいる
ジャン・ジオノ原作の映画「河は呼んでいる(L'Eau Vive)」の主題歌シャンソン(1958年作品)。作曲者自身が歌った。映画は、アルプスから流れるデュランス河のダム工事で湖底に沈む山村を舞台に、地主の相続人となった清純な娘オルタンスを巡り、貧しい村人たちの醜い確執を通して、少女の人間的成長を描いた牧歌的な作品。 ちなみに、主演パスカル・オードレはエマニュエル・ベアールの母、作曲者はジュリー・ドレフュスの父。
個人的な想い出としては、両親とドライブでデュランス河を渡るときに、ふいに父がこの歌を口ずさんだのを聞いて、初めてこの曲の存在を知った。父も思わぬところで河に出会い、嬉しかったようだ。

"L'EAU VIVE"
Paroles et Musique de Guy Beart

河は呼んでいる
作詞・作曲:ギイ・ベアール 歌手:中原美紗緒


Ma petite est comme l'eau, elle est comme l'eau vive
Elle court comme un ruisseau, que les enfants poursuivent
Courez, courez vite si vous le pouvez
Jamais, jamais vous ne la rattraperez

Lorsque chantent les pipeaux, lorsque danse l'eau vive
Elle mene les troupeaux, au pays des olives
Venez, venez, mes chevreaux, mes agnelets
Dans le laurier, le thym et le serpolet

Un jour que, sous les roseaux, sommeillait mon eau vive
Vinrent les gars du hameau pour l'emmener captive
Fermez, fermez votre cage double cle
Entre vos doigts, l'eau vive s'envolera

Comme les petits bateaux, emportes par l'eau vive
Dans ses yeux les jouvenceaux voguent la derive
Voguez, voguez demain vous accosterez
L'eau vive n'est pas encore marier

Pourtant un matin nouveau l'aube, mon eau vive
Viendra battre son trousseau, aux cailloux de la rive
Pleurez, pleurez, si je demeure esseul Le ruisselet, au large, s'en est alle.

デユランス河の流れのように 
小鹿のようなその足で
駈けろよ駈けろ かわいいオルタンスよ
小鳥のようにいつも自由に

岸辺の葦に陽はふりそそぎ 
緑なす野にオリーブ実る
駈けろよ駈けろ かわいいオルタンスよ 
心ゆくまで子羊たちと

やがてすべてが流れの底に 
埋もれる朝がおとずれようと
ごらんよごらん かわいいオルタンスよ 
新しい天地にあふれる水を


ベスト懐かしの映画音楽100」収録

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お祭り Fetes traditionelles

陽気なプロヴァンスの人々と切ってもきれないのが、お祭り!やっぱりまぶしすぎる南の太陽には、どんちゃん騒ぎがもってこい!毎月どこかしらで伝統行事や屋外イベントが行われます。楽しみながら伝統文化を大事にしているんですね。
地元イベントの由来を調べてみると、キリスト教以前から、民衆が親しんできた自然のサイクルに沿った季節のお祭りなど、異教的あるいは土着的なものがキリスト教に取り入れられていることも多いようです(神仏習合のようなものといえますね)。
また、地元イベント以外にも、写真、映画、絵画、音楽、スポーツなどの世界コンテストが行われます。どうせ行くなら、お祭りにあわせて旅程を立てたいものですね。PACA地域圏文化事業団による"TERRE DE FESTIVAL"(祭りの大地)という無料の冊子を、街の観光局などで入手して利用するといいかもしれません。6−9月のプロヴァンス・アルプ・コートダジュール地域圏各地の祭りが、200ページ強に渡って網羅されています。


南フランスの主なお祭りカレンダープロヴァンス・マルセイユ商工会議所観光局より)

祝祭日 プロヴァンス コートダジュール
1月 janvier
「元旦」1日
「顕現節」6日

  モンテカルロ「国際サーカスフェア」
2月  fevrier
「四旬節」

マンドリュ・ラ・ナプール 「ミモザ祭り」 第2週
Fete du Mimosa de Mandelieu-la Napoule
ニース「カーニヴァル」 18日間
Carnaval de Nice
マントン「レモン祭」 中旬〜3月
Fete du Citron
3月 mars
夏時間開始 最終日曜
春分
トゥレット・シュル・ルー「スミレ祭」第1日曜
4月 avril
「復活祭」と翌月曜
アルル「春の闘牛」 復活祭の土曜
Arene d'Arles

5月 mai
「メーデー」1日
「終戦記念日」8日
「キリスト昇天節」
「母の日」
アルル/カマルグ 「牧童祭り」 1日
La Fete des Gardians
カンヌ「国際映画祭」 中旬12日間
2004/5/12-23、2005/5/11-21、2006/5/17-28
Festival de Cannes
サントマリー・ドゥ・ラ・メール「ジプシー巡礼祭」 24・25日
Pelerinage Gitans aux Ste-Maries de la Mer
モナコ「F1グランプリ」 第三週木〜日
2004/5/20-23、2005/5/19-22、2006/5/25-28、2007/5/24-27
Grand Prix de Monaco
6月 juin
「聖霊降臨節」
翌月曜(WhitMonday)
「父の日」
夏至
エクサンプロヴァンス 「ジャズフェスティバル」 〜7月
トゥーロン「サッカーU-21国際大会」上旬
Festival International "Espoirs" de Toulon et du Var
タラスコン 「怪獣タラスク祭り」
Fete de la Tarasque
サンレミドプロヴァンス「移牧祭」
Fete de la Transhumance
アルル他各地「聖ヨハネの火祭り」 23日
Feux de Saint Jean
7月 juillet
「革命記念日」14日
アルル 「民俗衣装祭り」 第1日曜
Fete du Costume
アルル「国際写真フェスティバル」 〜8月
Rencontres Internationales de la Photographie
アヴィニョン 「国際演劇祭
Festival d'Avignon
エクサンプロヴァンス「国際歌劇祭」
Festival International d'Art Lyrique

エクサンプロヴァンス「ダンス・ア・エクス」
Danse a Aix

オランジュ 「国際オペラ祭」(古代劇場) 〜8月
Choregie d'Orange
アンティーブ「ジャズ・ア・ジュアン」 中旬
Jazz a Juan
マルセイユ「マルセイユ祭り」(ダンス、音楽、演劇、映画)
Festival de Marseille
カンヌ「音楽の夕べ」 16-30日
Nuits Musicales du Suquet
マルティーグ 「国際音楽祭典」
Festival de Martigues
ニース「ジャズ・フェスティバル」 21-28日
Jazz Festival
8月 aout
「聖母被昇天節」15日
シャトーヌフ・ド・パープ「ワイン祭」 グラース「ジャスミン祭」
fete de jasmin
カンヌ「国際花火祭」
International Fireworks Festival
9月 septembre
秋分
アルル/カマルグ「初穂祭」 第3日曜
ニーム「ブドウ収穫を祝う闘牛」 第3週末
Feria des Vendanges
各村々にて「葡萄収穫祭り」 20-30日
10月 octobre
夏時間終了 最終日曜
サント・マリー・ドゥ・ラ・メール「巡礼祭」 22日
Pelerinage Gitans aux Ste-Maries de la Mer
アンティーブ「国際海洋写真展」 下旬
Festival Mondial de l'Image Sous Marine
11月 novembre
「諸聖人の祝日」1日
「休戦記念日」11日
アヴィニョン/法王庁 「 新酒解禁式典」 第3木曜「コート・デュ・ローヌ・プレミウム」
11月下旬-12月末
マルセイユ/カンビエール大通り「サントン市」 
アルル/サントロフィーム修道院「サントン祭り」
エクス /クールミラボー「クリスマス市」「サントン・フェア
12月 decembre
「クリスマス」25日
「大晦日」31日

冬至
レ・ボー、フォンヴィエイユ、サン・レミなどで「本物の羊飼いや羊がイエスの誕生を再現するミサ」


番外編「旅行に役立つキリスト教の豆知識」>「祝祭日」も旅程をたてる時に要注意!


上記はほんの一部です。もっと詳しい年間イベントスケジュールは以下をチェック!
"ProvenceBeyond"(英語)>お祭りカレンダー
フランス政府観光局>イベント>年間イベント


【カンヌ国際映画祭 Festival International du Film de Cannes】

名実ともに世界最大の映画祭「カンヌ映画祭」。ヴェネチア国際映画祭、ベルリン国際映画祭とあわせ、世界三大映画祭とも呼ばれる。
フランス政府が、ムッソリーニのヴェネチア国際映画祭に対抗して1946年開催して以来、カンヌで毎年5月に開催されている。
最高賞はパルム・ドール(Palme d'Or)。コンペティション部門に出品された映画作品の中から、著名な映画人や文化人による審査団が選ぶ。他にも、審査員特別グランプリ、審査委員賞、監督賞、男優賞、女優賞、脚本賞、カメラ・ドール (新人監督賞) がある。
また、非商業主義としても知られ、映画祭と併行して行われる批評家週間と映画監督週間では、新人監督と世界中の映画監督の作品を、映画ジャーナリストたちに公開。映画製作者にとっては、新作映画を映画配給会社への格好のプロモーションの場ともなる。
普段は落ち着いたたたずまいの高級リゾート都市カンヌも、この期間中は数多くのセレブリティーや映画関係者できらびやかに賑わい、世界中から注目され、宿泊施設の値段も倍以上になる。(写真撮影:高田勇紀夫様)

第60回の節目を迎えた2007年には、北野武監督がヴィム・ヴェンダースやロマン・ポランスキーらとともに世界の巨匠35人による記念短編集を担当し、また、河瀬直美監督の「殯の森」が最高賞パルムドールに次ぐグランプリ受賞と、快挙づくしの年となった。

開催回
開催年
期間
パルム・ドール作品 (監督名)
審査員長
第53回
2000年
5/10-21
ダンサー・イン・ザ・ダーク(ラース・フォン・トリアー) リュック・ベッソン
第54回
2001年
5/9-20
息子の部屋(ナンニ・モレッティ) リブ・ウルマン
第55回
2002年
5/15-26
戦場のピアニスト(ロマン・ポランスキー) デビッド・リンチ
第56回
2003年
5/14-25
エレファント(ガス・ヴァン・サント) パトリス・シェロー
第57回
2004年
5/12-23
華氏911(マイケル・ムーア) クエンティン・タランティーノ
第58回
2005年
5/11-22
ある子供(ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ) エミール・クストリッツァ
第59回
2006年
5/11-28
バーレーを揺らす風(ケン・ローチ) ウォン・カーウァイ
第60回
2007年
5/16-27
4 Luni, 3 Saptamini Si 2 Zile(クリスチャン・ムンギウ) スティーヴン・フリアーズ
第61回
2008年
5/14-25
クラス(ローラン・カンテ) ショーン・ペン


Festiva de Cannnes
Wikipedia>カンヌ国際映画祭
WOWWOWカンヌ映画祭ブログ

【モナコ・F1グランプリ Grand Prix de Monaco

1929年の国際レースを起源とする伝統の市街地レース。モナコ自動車クラブ(AUTOMOBILE CLUB DE MONACO)が開催。
F1グランプリがスタートした50年から開催されており、いくどかの中断(1938〜47年、第二次世界大戦の間)を除いて、毎年開催されてきた。
2006年で64度目、F1GPとしては54度目の開催となる。 イギリスGP、イタリアGP等と並んで最も伝統のあるグランプリで、インディ500、ル・マン24時間レースと並ぶ世界3大レースの1つにも数えられる。

グランプリが開催されるモンテカルロ市街地コース(3,340m)は、モナコ王室の協力を得て、ほぼ国全体がサーキットとなっている。直線がほとんどなく、道幅も狭く追い抜きもしにくい上に、ガードレールに視界をさえぎられる超テクニカルコース。 さらに一般道路を使用しているため、タイヤに対するダメージも大きく、例外的に総走行距離が約250kmほどに減らされている。 また、F1サーキットの中で唯一トンネルがある。

ポールポジションを獲得したドライバーがそのまま優勝しポール・トゥ・ウィンを達成することが多く、 またこのコースを制するドライバーが年間チャンピオンシップを制する場合も多いが、ダークホースが優勝したり、優勝候補がリタイアしたりと波乱が起きることもある。マシンの性能差以上にドライバーの腕が試されるコースであるため、モナコGPで勝利することはレーサーにとって栄誉とされ、モナコGPを得意とするドライバーを「モナコ・マイスター」と呼んで賞賛する。

例年、レースウィークにはモナコ大公主催のパーティが開かれ、ドライバーやチーム関係者をはじめ、世界中のセレブリティーで華やかに賑わうのも、F1グランプリの名物レースたるゆえん。また、通常のレースウィークと異なり木曜日にフリー走行が行われ、金曜日は公道が開放される。

2008年は、雨で20台のうち完走が14台となる荒れたレースであったが、中嶋一貴(ウィリアムズTOYOTA)が7位入賞と健闘し、日本人として初のポイントを獲得した。

<モナコGP歴代優勝者>
開催回
開催年
決勝日
優勝者
所属チーム
第58回
2000年
6/4
デビッド・クルサード マクラーレン
第59回
2001年
5/27
ミハエル・シューマッハ フェラーリ
第60回
2002年
5/26
デビッド・クルサード マクラーレン
第61回
2003年
6/1
ファン・パブロ・モントーヤ ウイリアムズ
第62回
2004年
5/23
ヤルノ・トゥルーリ ルノー
第63回
2005年
5/22
キミ・ライコネン マクラーレン
第64回
2006年
5/28
フェルナンド・アロンソ ルノー
第65回
2007年
5/27
フェルナンド・アロンソ マクラーレン・メルセデス
第66回
2008年
5/25 ルイス・ハミルトン マクラーレン・メルセデス

<モナコGP優勝数(モナコ・マイスター)ランキング>
順位
優勝者
回数
優勝年
1
アイルトン・セナ
6
1987, 1989, 1990, 1991, 1992, 1993
2
グラハム・ヒル
5
1963, 1964, 1965, 1968, 1969
ミハエル・シューマッハ
1994, 1995, 1997, 1999, 2001
3
アラン・プロスト
4
1984, 1985, 1986, 1988
4
スターリング・モス
3
1956, 1960, 1961
ジャッキー・スチュアート
1966, 1971, 1973
5
ファン=マヌエル・ファンジオ
2
1950, 1957
モーリス・トリンティニャン
1955, 1958
ニッキ・ローダ
1975, 1976
ジョディー・シェクター
1977, 1979
デビッド・クルサード
2000, 2002
フェルナンド・アロンソ 2007,2008


The Official Formula 1 Website
Wikipedia > フォーミュラ1
フジテレビ> F1

【カマルグ式闘牛あるいはコカルド Course Camarguaise ou a la Cocarde】

アルルの円形闘技場で民俗衣装祭の華、闘牛。アルルっ子の楽しみの1つ。
円形闘技場が満員になって、牛やヒトの動きにどよめき興奮しヤジを飛ばす様に、映画「グラディエーター」で観たようなローマ時代にタイムトリップした気分になる。牛の登場や退場ではビゼーのオペラ「カルメン」の曲がかかり、場内を盛り上げる。
「クルス・ア・ラ・コカルド(リボン・レース)」あるいは単に「コカルド」とも呼ばれるカマルグ式は、牛遊びやスポーツといった方がふさわしいかもしれない。いわゆる「スペイン式闘牛(コリーダ)」と大きく違う点は、牛を殺さない。見ていてずっと健全だ。
牛には赤いリボンが額に、白い房が角に付けてある。闘牛士たちは果敢に牛に立ち向かい、手につけたバリカン状の金属製のカギ爪で引っ掻いて、数を競い合う。カマルグ牛はスペイン牛と比べて300〜450キロと小型だが、神経質で敏しょうで角が鋭い。闘牛士たちは全速力で牛の正面から走っていき、すり抜けざまに的を狙うのだが、牛も引っ掻かれると怒って角を見せてなかなか近付けなくなる。だから、チームワークで牛の気を逸らしながら、的を狙う。角に守られた額のリボンが一番難しいようだ。的には懸賞がかけられていて、試合中に観衆からどんどん額が釣り上げられていき、それが場内放送されて闘牛士たちが奮起する仕組みだ。

前述したように、コカルドではラズトゥール(コカルドの闘牛士)と同様に主役である牛を痛めるけることは御法度。コカルドはスペクタクルとしての派手さこそないが、全身白い衣装を来た闘牛士たちが牛に追われて囲いから跳び逃げる様が絵になって安心して楽しめる。こちらの方が野蛮さや残酷さがなく、けれども勇敢さを示すにふさわしい(実際、みな別に職業があるのだ)。確かにコリーダではきらびやかな衣装の真打ちマタドールが、圧倒的に大きな牛に一対一で対峙して、突進してくるとひらりと交わして弄び、最後に一撃で息の根をとめる。けれども実は、その前に寄ってたかってナイフを刺したりヤリで突いたりして、散々牛を傷つけて出血させて弱らせているのだ。あれじゃリンチじゃないか。観客は牛の血を見るたびに興奮が増していくようであるが、こういうのに慣れていない日本人の私にとっては胸くそが悪くなるが、その点コカルドは牛と戯れているカンジでいい。

コカルドは、エロー県、ガール県、ブシュ・デュ・ローヌ県、ヴォークリューズ県で、軽く千を越す試合がカテゴリーを問わず行われているほどに熱狂的に支持されている。なかでも毎年、闘牛ファン(アフィシオナード)が注目する大会が3つ行われている。2006年に75回を迎えたアルルの「コカルド・ドール」は最重要な大会で、ボーケールの「パルム・ドール」、ニームとアルルで交代で行われる「トロフェ・デ・ザス」を加えて3大大会となっている。この他にも多くの賞金付きの大会があり、特にエースたちが出場する最上級カテゴリーの「トロフェ・デ・ザス」が好まれて開催されている。
「アブリヴァード」と「バンディード」がコカルドの前後に行われる。牛の闘技場入りと退場に、観衆の挑発で列を乱しそうになるのを整然と移動させるのが牛追いたちの腕の見せ所となっている。
歴史としては、15世紀に文献にあらわれるが、コカルドは19世紀終わり頃からはじめられ、20世紀初頭のバロンセリ侯爵らの尽力により体系化された。


写真館「カマルグ式闘牛


Wikipedia : Course camarguaise
Wikipedia : Cocarde d'Or

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人気のスポーツ petanque et foot

プロヴァンスには、「ペタンク」と「サッカー」という、2大球技があります。主に前者は老人に、後者は若者に人気があります。

【ペタンク Petanque】
1〜3人のチームに分かれて、グレープフルーツ大の
鉄球(ブール)を一定の距離から投げて(ポワンテ)、3cmほどの標的(コショネまたはビュット)に近づけて得点を競うゲームです。 敵のブールをはじき出す(ティール)など、おはじきやビー玉遊びの屋外版といったところでしょうか。

日本におけるゲートボールのような人気で、街の公園や平坦で舗装されていない空き地で、パスティス片手に野次を飛ばしながら熱中している、ランニング姿のプロヴァンスおやじたちをよく見かけます。激しいスポーツではありませんが、心理作戦も辞さない、熱いスポーツのようです。小説「南仏プロヴァンスの12ヶ月」の7月の章でも紹介されています。

1910年にラ・シオタで発祥し、現在ではフランスで競技人口500万人、ヨーロッパをはじめアメリカ、アフリカなど全世界に浸透し、ワールドカップまで開催されているほどで、なんと、日本ペタンク協会もあります。ちなみにペタンクとは、プロヴァンス語で「両足をそろえる」を意味する「ピエ・タンコ」に由来するそうです。

OBUT
ぺタンクの鉄球メーカー、オビュット。世界選手権のスポンサー
La Boule Bleue
マルセイユのぺタンク鉄球メーカー、ラ・ブール・ブルー。創業1904年。

【サッカー Football】
2003-04年シーズン現在、フランス国内1部リーグ「リーグ・アン(LEAGUE 1)※」には、「マルセイユ」と「モナコ」と「ニース」の3チームがあります。各チームのユニフォームの色や意匠は、街の紋章に由来するようです。

※フランスのリーグ1は、1932年に開始され2002年に「ディヴィジョン・アン(DIVISION 1)」から改称。フランス代表やワールドクラスの選手はイタリア・スペイン・イングランドなど周辺国の強豪リーグでプレーする中、アフリカ出身を始めとする若手選手の登竜門的リーグとなっている。欧州カップ戦でも上位に食い込むチームもあり、レベルが上がってきている。リーグは1部2部とも20チームからなり、ホーム&アウェイで優勝を争う。勝ち点制で、勝ち3点、引き分けは1点。2チームの勝ち点が並んだ場合、得失点差、総得点の順になる。1部下位と2部上位それぞれ3チームが自動昇的に降格する。

チーム名

マルセイユ
Olympique de Marseille

モナコ
Association Sportive de Monaco Football

ニース
Olympique Gymnaste Club de Nice Cote d'Azur

ロゴ(公式HP)
創立
1899年 1924年 1904年
リーグ優勝
8回
(1937、48、71、72、89、90、91、92)
7回
(1961、63、78、82、88、97、2000)
4回
(1951、52、56、59)
ホームスタジアム
(収容人数)
ヴェロドローム(60000人)
Stade de Velodrome
ルイ2世(20000人)
Stade Louis II
レイ(15761人)
Stade du Ray
チームカラー
白と水色 赤と白 赤と黒のストライプ


オランピック・ド・マルセイユ
Olympique de Marseille

中でも、白と水色の爽やかなユニフォームのマルセイユ(OM)が、フランスで1,2を争う人気チーム(1899年創立、国内リーグ優勝8回、CL優勝1回)。90年代前半だけでも、数多くの名プレーヤー(JPパパン、Cワドル、Bボリ、Aペレ、デシャン、ブランなど)が所属しました。わたしの留学当時(93〜94年)には、地元の成り上がり権力者タッピ(Bernard Tapie)という豪腕オーナーが大金を注ぎ込み、ヨーロッパでも屈指の強豪チームでした。93年、欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ=CL)決勝でかの強豪A.C.ミランを破り、フランス勢唯一の栄冠を手にしたましたが、トーナメント初戦の相手選手買収がばれて、優勝はく奪(T_T;この不祥事の後、2部リーグ陥落・主力選手流出など辛酸をなめましたが、03-04年シーズンは、ドログバ(英チェルシーに移籍)、ミド(英トットナムに移籍)、バルテズらを擁し、国内リーグ7位、UEFAカップ準優勝と、古豪復活を印象付けました。
また北の都市(特にパリ)への強烈な対抗意識もあって、熱狂的なサポーターが多く、試合よりスタンドの暴動を見る方が楽しいものがありました。日本で言うなら、阪神タイガースのような熱狂ぶりで国内随一。ホーム開催では平均5万人を動員。世界でも有数の裕福なビッグクラブ。サポーターは選手の優劣を厳しく評価し、ときには監督はおろかクラブ経営者の去就にまで影響力を持つほど。ちなみに93年当時の応援歌は、マルセイユを代表するラップ・グループ「アイアム iam」
の大ヒット曲"le feu"のサビ、"Ce soir,on vous met le feu !"(=今夜、お前らに火をつけてやる!)。過激です(今は変わっているかもしれませんが)。ホーム・スタジアムのヴェロドローム(Stade de Velodrome)までスキラッチ(元J磐田)やストイコビッチ(元名古屋G)を観に行ったものです(もっとも、2人とも数年後に日本でプレーすることになりました)。
2004年12月1日、シーズン途中で元日本代表監督のトルシエ氏に監督交代。「挑戦のチャンスが与えられてうれしい。マルセイユから電話を受けた時には、このクラブの一員に加われる期待で興奮した」と意気込みを語っています。さらに、2005年1月31日、すでに入団テストを兼ねて1月中旬に練習に参加していた、日本代表MF中田浩二選手(25)と1年半の契約を結んだと公式発表されました。ディウフ・ゼネラルマネジャー(GM)によれば、「フィリップが入団を熱望した」とのことです。同年2月15日、入団会見し「自分の強みは、いろいろなポジションができること。こだわらずに、監督の望むポジションで結果を出したい」と抱負を述べました。なお、背番号は27に決まり、さっそく公式HPでネット販売を始めています。同年3月6日、中田浩二はアウェーのサンテチエンヌ戦に左MFでデビューし、先発フル出場しました(なお、チームは雪に苦戦し0-2で敗れ、勝ち点48で2位のまま)。結局、トルシエ監督と元フランス代表のDFリザラズら主力が衝突するなど、チームがうまくまとまらないまま5位でシーズンを終え、欧州CL出場権はおろかUEFA杯の出場権も得られず、同年6月2日にトルシエ監督の更迭を発表。新体制で出場機会を失った中田は新天地を求め、2006年1月31日、スイス1部リーグの強豪FCバーゼルに移籍しました。
ワールドカップ明けの2006-07シーズンは、リヨンの8連覇を阻止することができませんでしたが、2位に食い込んでチャンピオンズリーグ出場権を獲得しました。久々のCLではグループリーグ3位にとどまり、残念ながら決勝トーナメント進出には至りませんでした。2007-08シーズンは、エースのリベリーが移籍してしまいましたが、シセや新星ナスリの活躍でリーグ3位(勝ち点62)となり、2年連続してCL出場権を獲得しました。

アーエス・モナコ
Association Sportive de Monaco Football

赤と白の燃えるユニフォームのASモナコも、かつてシーフォやバルテズ、アンリなどが所属し、毎年優勝争いに加わる名門チームです(1924年創立、国内リーグ優勝7回)。王立のクラブチームなのに、なぜかモナコ内でのサッカー熱は今ひとつ。マルセイユとの南仏ダービーのときだけ盛り上がります。しかし、元フランス代表主将デシャン監督に率いられた03-04年シーズンは、ジュリ、モリエンテス、ロテンらを擁し、国内リーグ3位、ヨーロッパ・チャンピオンズ・リーグカップ(CL)ではレアル・マドリッド(スペイン)とチェルシー(イングランド)という2大金満チームを撃破して準優勝と、実力のある所を見せつけました。07-08シーズンは12位(勝ち点47)。

・世界的に有名なサッカー選手
マルセイユ出身のサッカー選手で忘れてはいけないのが、ズバリ、90年代前半のエリック・カントナ(Eric CANTONA、1966〜、左)と90年代後半のジネディーヌ・ジダン(Zinedine ZIDANE、右)。残念ながら両人が同時期にフランス代表で活躍することはありませんでしたが、いまなお輝きを失わない永遠のヒーローといえます。
カントナは、フランス代表ではワールドカップに出場することがありませんでしたが、所属クラブのマンチェスター・ユナイテッド(英)のエースとして活躍し、多くの栄冠をもたらす一方、気性の激しい性格でフィールド内外でも注目を浴び「王様」として君臨しました。
ジダンは、カントナが去った後のフランス代表のエースとして、史上初のワールドカップ(仏1998年)とヨーロッパ選手権2000年)の二冠に導いたことで「新将軍」と呼ばれ、 所属クラブのレアル・マドリード(スペイン)でも銀河系軍団の中心として多くの栄冠をもたらしています。またその穏やかな性格と「ジズー」の愛称で親しまれています。

・トゥーロン国際大会 Festival International "Espoirs" de Toulon et du Var
23歳以下世代の国際トーナメントが、トゥーロンとその周辺都市(イエール、ラ・セイヌ、ラ・ロンド、オバーニュ、サン・シール、ソリエス・ポン)で、毎年56月上旬に開催されています。日本では「トゥーロン国際大会」と呼ばれていますが、正式名称はFestival International "Espoirs"ですから「有望選手の国際祭典」と言ったとこでしょうか。決勝はマイヨール競技場で行われる。1967年にフランスのクラブチームの若手育成のために始まった大会で、1975年からユース代表8チームによる大会になり、2002年にFIFA公認大会となりました。過去にJPパパン、ストイチコフ、ジダン、シアラー、ルイ・コスタ、オマン・ビイクなど偉大な選手を輩出し、現在は若手発掘の見本市として世界から注目される大会です。日本は2000年から参加しており、2002年には3位となりましたが、その後苦戦しています。なお、第35回大会の2007年は地元フランスが優勝し、4連覇を達成しました。2008年には北京五輪に出場するU-23日本代表が4強進出と健闘したものの、準決勝・3位決定戦とPK戦敗退で涙を飲みました。

開催回
開催年
決勝日
1位
2位
3位
第29回
2001
ポルトガル コロンビア フランス
第30回
2002
ブラジル イタリア 日本
第31回
2003
ポルトガル イタリア アルゼンチン
第32回
2004
フランス スウェーデン 中国
第33回
2005
フランス ポルトガル イングランド
第34回
2006
フランス オランダ ポルトガル
第35回
2007
フランス 中国 コートジボワール
第36回
2008
5/29
イタリア チリ コートジボワール


基本編「プロヴァンスの巨匠たち
番外編「プロヴァンスの紋章」 >「サッカーチームのロゴと街の紋章

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オススメ図書

ヨーロッパ花めぐり (2005-06) 地球の歩き方MOOK
  ダイヤモンド・ビッグ社

もっとも美しく華やかな花咲く季節のヨーロッパ10カ国。真っ先に「色と光に華やぐ南フランスへの旅」としてプロヴァンスが紹介されている。
<もくじ>ラヴェンダー街道を巡るリュベロン地方、画家が愛した花の風景アルルとエクス・アン・プロヴァンス、プロヴァンス旅行にピッタリな花のホテル、香りと芸術を堪能するコートダジュール、コートダジュール旅行にピッタリな花のホテル
<コラム> リュベロンへの旅でラベンダーに親しもう、南フランスでしゃれたおみやげを見つけよう!、南フランスのスイーツが織り成す甘美な世界
余談ながら、2005年夏の旅では、本書でエクスの宿を見つけた。


南仏と南仏語の話
工藤 進 (著) 大学書林
プロヴァンス語、ラングドック語、オーヴェルニュ語、ガストン語など、フランスの地方言語・南仏語(オック語)を解説。単なる言語学的な解説だけでなく、南仏の範囲を規定するところから始まり、山川海風といった南仏語を取り巻く自然環境や南仏語の発生と発達に影響を与えた歴史や民族をも解説している点で、とても興味深く、南仏への理解度が高まる。同じラテン語系とはいえ、北仏で発達した標準フランス語(オイル語)とは、一線を画す言語だということがわかる。さらに、文例も掲載されているので、南仏語と総称されるグループの中でも、各々かなりの違いがあることがわかる。

オクシタニア(上・下)
佐藤 賢一 集英社
時は13世紀。フランス史上の重大事件の1つ、アルビジョワ十字軍。 ローマ教皇とフランス北部諸侯の聖俗が、異端カタリ派の地・オクシタニア(オック語圏、現南仏・ラングドック地方)に牙をむく。教科書上では、これにより、パリ伯に過ぎなかったフランス王家が、領地や影響力を飛躍的に拡大したことになっている。
フランスに併呑される前だから、南仏はオクシタニア(オック語を話す地域)と呼ばれていて、地名をオック語読みにしたり、アルビジョワ十字軍総大将シモン・ドゥ・モンフォールやフランス王ルイ9世(後の聖王ルイ)らフランス勢には標準語を、無冠の帝王トロサ伯(フランス語でトゥールーズ)ラモン7世らオクシタニア勢には関西弁を使わせたりして、両者の違いを際立たせている。また、日本では馴染みの薄い異端カタリ派であるが、悲恋物語を通じて、キリスト教の「正統」カトリックと「異端」カタリ派の信仰の違いも理解できる。
プロヴァンスから見れば、主戦地はローヌ河の向こう側ではあるが、トロサ伯がプロヴェンサ(フランス語でプロヴァンス)侯を兼ねていたため、あながち無関係な事件ではない。

守護聖人 聖なる加護と聖人カレンダー
真野 隆也 新紀元社
特定の職業や国・地域・都市などを守護する聖人や、プロヴァンスとなじみの深いマグダラのマリアやマルタに関するエピソードやエンブレム(宗教画などでどの聖人か見分けるための特徴)が、「芸術と学問の守護聖人」「女性たちの守護聖人」といったジャンル別に紹介されている。巻末にはローマン・カトリックによる聖人カレンダーが付いていて、1年365日がどの聖人の日にあたるかが一目でわかる。

世界のサッカーエンブレム完全解読ブック
斉藤 健仁、野辺 優子 (著) 笊カ庫

ヨーロッパの主要リーグ(イタリア、スペイン、イングランド、ドイツ、フランス、オランダなど)のクラブチームや世界の強豪国の代表チームの胸に輝くエンブレム。マルセイユのキャッチフレーズの由来、モナコのユニフォームのデザインの由来、ニースの愛称の由来など、デザインだけにとどまらず、その作成のいきさつ、チームの歴史、地域とのかかわり、社会・文化などが簡潔に解説されていて面白い。街の紋章と同様、小さなエンブレムに大きなストーリーが込められているのがわかり、今までとは一味違った角度でサッカーが楽しめる。


ヨーロッパものしり紀行 くらしとグルメ編
紅山 雪夫 新潮社
元旅行代理店のベテラン添乗員が、ヨーロッパのあれこれウンチクを案内する「読む観光本」。より踏み込んだ知識をもてば、他人任せのツアーより、断然ヨーロッパ旅行がイキイキしてくる。
シリーズ第二弾。チーズやワインやレストランなどの食事から城塞や家やローマ遺跡の建築まで、ヨーロッパ旅行で出会う現地の生活文化を幅広く紹介。
プロヴァンス関連としては、ニームのローマ水道橋の建築の秘密、カマルグに住むジプシー(ロマ人)の知られざる生活、香水の都グラースの花精油の製造法などがわかりやすい文章で説明されている。

プロヴァンス 碧い海と碧い空と…
田辺 保 恒星出版

大阪市立大学名誉教授の著者が、前半部分では「ローマ時代」「キリスト教伝来」「中世」といった歴史や、後半部分では「ペトラルカ」「ミストラル」「ドーデ」「パニョル」「ジオノ」といった文学者などを通して、プロヴァンスの魅力を丁寧に紹介。
プロヴァンスの入門書として最適。旅行ガイドの次に買うならこれ。リピーターや留学生は必携。
ちなみに、イラストを担当した娘さんの作品は、Keiko Tanabe Web Siteに続々発表されている。


まだまだオススメ本あります→プロヴァンスに関する本

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