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南仏旅行に役立つキリスト教の豆知識
フランスはカトリック国。 他のヨーロッパ諸国と同様に、政治・経済・科学・哲学だけによどまらず、キリスト教が日々の暮らしに根付いています。日本ではなじみが薄いかもしれませんが、フランスを観光旅行する場合でも、祝日、お祭り、建築物、美術など、キリスト教や聖書に基づく事柄が多いですから、その常識的な知識があった方が滞在を数倍楽しめることになります。
また、キリスト教は、民衆の中に浸透していた土着的な神々や文化を吸収する形で、ヨーロッパ共通の精神的支柱として発展してきたため、それらを明らかにすることで、よりいっそう興味や理解が深まります。
▼もくじ
祝祭日|聖人|建築様式|異端カタリ派|オススメ図書

基本編「プロヴァンスの生活」>「お祭り」
キリスト教(カトリック)には毎年同じ日になる「固定祭日」と、復活祭を起算日として年ごとに日取りが変わる「移動祭日」があり、商店、美術館、古代遺跡などみな閉まってしまうので、カトリック国であるフランスを旅行する場合、要注意!ということで、以下の表には、休みになる日を挙げてみました。
なお、キリスト教以前の土着信仰・風習や自然のサイクルに即した年中行事(民衆は、冬至・夏至・春分・秋分・季節の盛りなど、季節の節目を重要視して祝祭を催し、自然のサイクルにあった生活を送っていた)を吸収した祝日も少なくないので(例えば、クリスマssスは冬至にあたるなど、むしろそうしたものの方が多い)、その由来や祝い方も簡単に記しました。

「ヨーロッパの旅Q&A-キリスト教編-」(トラベルジャーナル)
「キリスト教暗黒の裏面史」(徳間書店)
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祭 日
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時 期
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由 来
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顕現節(公現祭)
Epiphanie |
1/6 |
馬小屋で誕生したイエスが、初めて公衆の前に姿を現した日で、東方の3博士がイエスを拝みにきたことを記念。
エジプト暦の冬至に由来(男性豊饒神オシリスの誕生日)。日本の松の内にあたる |
| 聖燭節 |
2/2あるいは2/14
※特に休日にはならない |
聖母マリア清めの祝日(産後産婦の祝別式を受けた日)。
冬至と春分の中間の冬の盛りにあたり、新しい生命を育む日で、ブリジットやヴィーナスなど、芸術・詩・癒し・炎・知恵の女神たちをたたえ、想像力やインスピレーションを育む日だった。ロウソク行列をしたり、その年の獲物が増えることを願って動物の仮面や毛皮を身に着けて祝う |
四旬節(謝肉祭)
Careme(Carnaval) |
復活祭の前日から逆算して日曜をのぞき、「灰の水曜日」から始まる40日間(2〜3月頃)の大斎が四旬節。、「灰の水曜日」前日が謝肉祭でいわゆる「マルディ・グラ(Mardi
Gras)」 |
イエスが洗礼を受け、人々に教えを説くようになる前に、荒野で断食したことをしのび、信者が40日間の大斎に入って肉断ちの精進潔斎を守る前に、思いっきりご馳走を食べておく行事。
古代ローマの農業神サトゥルヌスの無礼講な祭りに由来する |
シュロの日曜と聖週間
Semaine Sainte |
復活祭の直前の日曜と、それから復活祭までの一週間 |
シュロ(ヤシ)を振る民衆の歓呼に迎えられながら、イエスがエルサレムに入城した日。教会で祝福を受けたヤシやオリーブの枝を、玄関などに飾り付けて、家内安全、無病息災、商売繁盛を願う。翌年に新しい枝と取り替える。 |
受苦日(聖金曜日)
Saint Vendredi |
復活祭の直前の金曜 |
イエスが十字架につけられた日 |
復活祭(イースター)
Paques |
春分後の最初の満月の次の日曜
('03年は4/20) |
イエスの十字架の死の3日後に復活したことを祝う、クリスマスと並ぶキリスト教最大の祝日。この復活祭を中心に移動祝日が組まれる。
信徒は四旬節を精進と贖罪で過ごし、復活祭直前の3日間は「主の晩餐」「主の受難」、前夜の復活徹夜祭を最大のイベントとする。さらに復活祭の50日後に「聖霊降誕祭」で締めくくる。
彩色したゆで卵(生命再生のシンボル)を食べる。多産の野ウサギも豊饒のシンボルとされる
春分にあたり、太陽が復活し夜に打ち勝つ力を持ち、豊饒・多産を呼び起こすときとされ、バビロニアではアドニス、ギリシアではアポロ、ローマではアッティスの復活祭だった。作物の豊作と豊かな狩猟を願って、大きなかがり火を焚く習慣があり、「イースターファイヤー」としてローマ教会の式典に取り入れられた
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イースターマンデイ
Lundi de Pacques |
復活祭翌日の月曜 |
キリスト昇天節
Ascension |
復活祭から40日目の木曜 |
イエスが復活から40日後に昇天したことを祝う。教会での礼拝中心だが、商店などは全休になる。
古くはゲルマンの雷神(あるいは天候神・収穫神)「トール」の祭日であった |
聖霊降臨節(ペンテコステ)
Pentecote
Lundi de Pentecote |
復活祭から50日目の日曜
その翌日の月曜 |
イエスの教えが弟子たちによって、民族・言語の違いを乗り越えて、多くの人々に伝えられるようになったことを象徴する日。教会の創立という聖書上の出来事を祝い、祈りを捧げる。
春分と夏至の中間の春の盛りにあたり、収穫感謝祭に由来する。その年の収穫を生み出すために太陽と地上が交わるときとされ、五月柱の周りで踊ったり(メイポールダンス)、若葉を飾り付けたりして祝う。 |
聖ヨハネの祝日
Feux de Saint Jean
Solstice d'ete |
6/24 |
イエス・キリストに洗礼を授けた、洗礼者ヨハネの誕生を祝う日。前夜に火祭りが各地で行われる。
夏至にあたり、一年で最も昼間が長く、太陽の力が最も強いとされ、太陽信仰における最重要の日。先祖の霊を迎えるガリア人やゲルマン人の火祭りに由来し、大きなかがり火をたいて、香草を燃やし花を飾って祝った。
教会はイエスの誕生日(クリスマス)を冬至とし、イエスの先駆者的存在のヨハネの誕生日を夏至とした。
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キリスト聖体の祝日
Corpus Christi |
復活祭から61日目の木曜 |
1263年の奇跡(ボヘミア僧ペーターの前で、聖別されたパンから鮮血が流れ出た)に由来する |
聖母被昇天節
Assomption |
8/15 |
聖母マリアが天に上げられたことを祝う。前後が休みになることもある。
夏至と秋分の中間の夏の盛りにあたり、太陽の力が作物に伝わるときとされ、収穫物・薬草・野原・山・海を清める儀式を行い、穀物で人形を作って祝った。
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ミカエル祭
聖母マリアの誕生祭 |
9/6(東方教会)、9/29
9/8
※特に休日にはならない |
秋分の日にあたり、収穫物に感謝を捧げ、宴会を開き、秋の果物・穀物・野菜を飾って祝う。聖母マリアを祭った聖堂を穀物の穂で覆う習慣が残っている |
諸聖人の祝日
Toussaint
万霊節
All Souls day
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11/1
11/2
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「全ての聖人を追憶しその遺徳を忍ぶ日」と「亡くなった全ての人々を忍ぶ日」とされ、家族で墓参りをする。
秋分と夏至の中間の秋の盛りは、一年のサイクルの終わりにあたり、生の世界と死の世界を隔てる壁が薄くなると信じられていて、一年の終わりに感謝を捧げ、死者の霊を慰め、過去を尊んで解き放つ日だった。この自然崇拝の習慣はハロウィーンとして根強く残った。また、ガリア人の新年(冬の始まり)にあたる。 |
待降節
Avent |
クリスマスから逆算して、4つ前の日曜から始まる4週間 |
待降節とは、クリスマスに先立つ第4日曜日、降誕祭のあとは1月1日の聖母祭、1月2日以降の日曜日に公現祭、その次の日曜日に主の洗礼の期間をさす。
クリスマスを、信者一同が心の準備をよく整えて待ち受ける期間。常陽樹の枝を丸めて作った葉冠を壁などに飾って、日曜日に1本ずつともしていく |
クリスマス(降誕祭)
Noel |
12/25 |
イエスが降誕した記念すべき日。教会での礼拝中心。イエス生誕場面の模型「クレッシュ
creches」を飾る(プロヴァンスではサントン人形)。
新約聖書にはイエスの誕生日についての記述がなく、教会としての行事はなかったが、教皇ユリウス1世(在位337〜352)により、12月25日に定められた。
ユリウス暦の冬至にあたり、古代ローマが崇めた太陽神ミトラの誕生日に由来。冬至は一年で夜が最も長く、太陽の力が最も弱い日。この日を境に陽光が力を取りもどすため、女神が太陽や男性豊饒神を出産する「太陽の誕生日」とされ、再生・復活祈願において重要視された。炉で薪をたいたり(ユールファイヤー)、ろうそく行列をしたり、木を飾り付けたりして祝った。
なお、クリスマスとは、英語で キリスト(Christ)とミサ(Mass)の意味。 |
大晦日〜元旦
Saint Sylvestre |
12/31〜1/1 |
「聖シルベストルの祝日」といい、友人や親戚など内輪で盛大にパーティーをする。翌日の元旦はむしろ寝正月 |

基本編「プロヴァンスの生活」>「お祭り」でイベントスケジュールをチェックして旅程を立てよう!
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中世以来、民衆の間では、天使、聖母マリア、十二使徒、殉教者など、霊験あらたかな聖人たちも、信仰の対象となりました。殉教した聖人たちは、畏れ多い神との仲立ちをしてくれる存在であり、信徒の理想像でもあったわけです。聖人の存在は、一神教・キリスト教の中で、多神教における神々と同様の役割を持っているとも言えます。当初は教会の指導に反していましたが、次第にキリスト教以前の異教や風俗・習慣への迎合あるいは妥協によって(例えばモンサンミッシェルは大天使ミカエルに捧げられたものですが、もともとはケルトの聖地でした)、民衆を取り込むという、意図的な役割を果たしました。
そういうわけで、聖人信仰はいたるところにある。まず、古くからある大きな教会は聖人のお墓の上に建てられ、その名前を冠したものが多い(ローマのサン・ピエトロ大聖堂やアルルのサン・トロフィーム大聖堂など)。さらに、中世におけるカトリック教会では、キリストや聖人の遺骨や聖遺物を御本尊のようにお祀りし、民衆は現世利益を求め、教会はお布施を集めました。また、守護聖人は、特定の職業や国家・都市・地域にご利益をもたらすとされ、その記念日に盛大に祝う(ヴェネツィアの守護聖人は聖マルコ)。これは共同体の団結力を固くする必要があったためでしょう。
このように、聖人は今なお民衆の信仰の中に息づいています。もちろん、聖書の説話や聖人伝承は美術の格好のモチーフとなっていて、観光的観点からも無視できない。聖人にはそれぞれエピソードにちなんだエンブレム(シンボルマーク)があり、絵画や彫刻など美術作品などで聖人を見分ける手助けとなります。
・プロヴァンスゆかりの聖人
プロヴァンスにキリスト教が根付いたのは1世紀とされています。
イエスの死後、マグダラのマリアら、イエスゆかりの聖人・聖女たちがパレスチナを追われて海を渡ってきたという伝説が残されているなど、豊かで特殊な信仰を持っています。中世の物語では、異教の野蛮人の住む荒野として描かれていますが、この時代のプロヴァンスの実際は、ローマ帝国の主要部分を構成し、ローマ人、ギリシア人、ユダヤ人の共同体が栄え、高度の文明が咲き誇っていました。イエス時代のユダヤの領主ヘロデ家も南フランスに領地を所有していたほど。とはいえ、地図もない辺鄙な土地を陸路で旅をするより、交易ルートの海路を利用するのが一般的でより安全であったことから、先の聖人たちは積極的に海を渡ってきたのかもしれません。
また、 プロヴァンスには、サン・ジャン・カップフェラやサン・トロフィーム大聖堂など、聖人(Saint)の名前を冠する町や教会が多いので、その由来について調べてみました。

「守護聖人 聖なる加護と聖人カレンダー」(新紀元社)
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洗礼者ヨハネ St.Jean le Baptiste
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・エンブレム:子羊、葦の十字杖、生首
・カトリックによる聖日:6月24日
・守護の対象:プロヴァンス、フィレンツェ、ブルゴーニュ、マルタ島の守護聖人。
フリーメーソンやマルタ騎士団やテンプル騎士団の守護聖人でもある。とりわけ、南フランスにおいて信仰が厚い(例えばマルセイユでは、ヨハネ騎士団の古い要塞が港湾の入り口を監視するなど、彼に捧げられた建物や、シオン会総長を務めたジャン・コクトーの自宅のあったサンジャン・カップフェラなど、彼の名前「サン・ジャン」そのものを冠した街が多い)。
イエスより半年前に生まれたとされ、イエスに洗礼したために、イエスの先駆者あるいは師匠ともみなされる。ヨルダン川南部地方での精力的な伝道活動は、当局から危険人物とみなされ、ガリラヤ領主ヘロデによって逮捕され、その寵愛を受けるサロメの希望により、斬首された。
その誕生日(6月24日)の前夜には、ヨーロッパ各地で盛大に火祭りが行われる。この日は夏至にあたり、古来、地母神にささげる祭りを継承したもので、火を焚いて五穀豊穣を祈り、火の粉にあたって無病息災を願う。イエスの誕生日が冬至なら、それに半年先立つ夏至は洗礼者ヨハネの誕生日となった。
なお、使徒ヨハネ(St.Jean l'Apostoliste)や福音書記者ヨハネ(St.Jean l'Evangeliste)とは別人物であるため、注意したい。
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マグダラの聖女マリア Ste.Marie
Madeleine
・エンブレム:香油壷、髑髏、十字架
・カトリックによる聖日:7月22日
・守護の対象:プロヴァンス、シチリア、ナポリの守護聖人。
フランス語ではマドレーヌ。聖母マリアに次ぐ、西洋最大の聖女。もともとは7つの悪霊に取り付かれた「罪深き女」あるいは娼婦とされたが(なお、20世紀になってカトリックが「マグダラのマリアは娼婦ではない」と認定した)、イエスによって悪霊を追い出してもらってから悔い改め、イエスの足を涙でぬらし長い髪で拭き、高価な香油を塗って最大級の従順を示したことから、改宗者と香水製造者の守護聖人ともされる。
常にイエスに忠実につき従い、その寵愛を一身に受けたため(ペトロら12使徒の嫉妬を受けながらも)、初期キリスト教会では「使徒の中の使徒」と目されていた(しかし、後にペトロに始まる正統ローマ・カトリックの男性優位により無視された)。また、イエスの磔刑、埋葬と復活に立ち会うなど、イエスの奇跡に関する最重要な場面に登場することが多いことから、イエスの妻とも愛人とも解釈される(異端グノーシス派福音書)が、なぜかこれらの場面以外では新約聖書から極力排除されている。
イエスの死後、砂漠をさまよったとも言われるが、伝承では、エルサレムで迫害を受けたマリアは、兄弟や聖人たちとともに南仏カマルグに流れ着き、プロヴァンス一帯で福音伝道し、異教徒の改宗に尽力したという(そのため、上陸地を「海のマリアたち"Saintes
Maries de la mer"」と名づけ、現在でもジプシーの最大の聖地となっている)。例えばマルセイユでは、子宝に恵まれない領主の夫人を身ごもらせ、さらに嬰児を産むと死んでしまった夫人を生き返らせる奇跡を起こして、この領主を改宗させた。
その後、サント・ボームSainte
Baumeの山中の洞窟に隠遁して隠修女となり、33年におよぶ瞑想生活ののち、天使に付き添われて昇天したとされる(この間、豊富な髪の毛以外何も身に着けず、洗礼者ヨハネの獣の衣のように全身を髪の毛で覆っていたという)。また、その麓の街サン・マクシマン・ラ・サントボームに、エクスの初代司教・聖マクシミヌスによって彼女の遺体が葬られたとされる。
このサント・ボームの洞窟は中世以来プロヴァンス最大の巡礼地となっていて、洞窟への参道"Le
chemin des Roys"は森の中を小一時間歩く(→写真館>マグダラのマリアを追って前編・後編)。ちなみに、ボームBaumeとはプロヴァンス語で「洞窟」という意味の言葉"bauma"に由来していることから、「聖なる洞窟」と言うことになるが、実はこの一帯の森はガリア時代から聖地とされていたらしい(切り立った岸壁のような山の南側に広がる森林には、日があまり当たらず、南仏であるにもかかわらず周辺には見られない寒冷な植生となっているのが、神聖視された模様)。キリスト教化されていくなかで、土着信仰が聖女マグダラのマリアに習合されたのだろうか。
なお、11世紀ごろ、サラセン人の侵略を避け、ブルゴーニュのヴェズレーVezerayのサント・マドレーヌ教会に遺骨が移されたため、同地が崇敬地となり、サンティアゴ・コンポステーラへの巡礼路の出発地点となった。とりわけ、このバジリカはロマネスク様式で有名。
また、13世紀に再び遺骨はサン・マクシマンに戻されたとも言う。1279年、プロヴァンス伯シャルル2世ダンジューがサン・マクシマン・ラ・サントボームの納骨堂で彼女の遺物を発見し、教皇の許可を得て、バジリカ聖堂の建設を支援し、その管理をドミニコ修道院に委ねた。なお、この建物は1295年に着工し約300年かかって建造され、プロヴァンス最大のゴシック建築として知られる(ただし、外形は整っているものの、未完成)。また、マグダラのマリアの聖日(7/22)に最も近い日曜日には、彼女の頭蓋骨とされる聖遺物に黄金のマスクをかぶせ、輿に乗せて街中を練り歩く祭りが行われる。
マルセイユにも彼女ゆかりの建物がある。大聖堂の「ヴィエイユ・マジュール」という12世紀の古い建物には、マグダラのマリアに捧げられた礼拝堂があるほか、聖セレナス礼拝堂には、マグダラのマリアの熱心な崇拝者にしてシオン会総長を務めた、プロヴァンス伯「善良王」ルネ・ダンジューに委託された、彼女の生涯と仕事についての一連の浮き彫りが飾られている(残念ながら現在は一般非公開)。また、5世紀建造のサン・ヴィクトール修道院の地下納骨堂には彼女に捧げられた洞窟の礼拝堂があり、黒い聖母像(13世紀)が祀られている。
いったい、マグダラのマリアの遺骨がどこにあるのか、真相は闇の中である。中世の教会では、巡礼者を目当てに聖遺物を客寄せの目玉にして発展を目論んだため、各々が本物だと主張してきたし、民衆にとってご利益がある方が本物とされたのである。いずれにせよ、聖書から干されたマグダラのマリアが、女人禁制であるはずのカトリック国で、広く信仰されていることに間違いないし、強い影響力があったことが伺える。現在でも人々の信仰の中に生きているわけで、どれが本物かと言うのは大きな問題ではないかもしれない。
また、マグダラのマリアは、カマルグに流れ着いたとき、「聖杯(最後の晩餐で使われ、十字架にかけられたイエスの血を受けたとされる聖なる杯)」を運んだとも言われる。そしてそれが、ラングドックのレンヌ・ル・シャトーに異端カタリ派やテンプル騎士団の財宝として隠されていたという伝説まであり、近年のベストセラー「ダヴィンチ・コード」のネタになっている。中世において一大勢力を誇ったテンプル騎士団の母体とされるシオン修道会は、フランク王朝メロヴィング家がイエスとマグダラのマリアの子孫であると主張し、その復権をもくろんだ(14世紀のテンプル騎士団の壊滅後もシオン修道会は継続し、ダビンチやコクトーなどが総長を務めたらしい)。「イエスの血を受けた聖杯」=「キリストの子供を身ごもった」と解釈しているわけだ。ところが、カトリック側からしてみれば、「神の子」イエスに子供がいたらオオゴトなわけで、あり得ないはずだ。だから、「イエスの妻」マグダラのマリアの存在を聖書からできるだけ排除し隠そうとしたのか…カトリックが男性優位にこだわる理由がわからない。こちらも真相は闇の中だ。カトリックの教えと真っ向から対立・否定することを信じていたシオン修道会およびテンプル騎士団は異端ということになる。カタリ派といい、南仏とは異端を生み出しやすい風土なのか。カトリックにとって眼の上のたんこぶだったことに間違いない。秘密結社の源流がここにある。
ところで、プロヴァンス、シチリア、ナポリといえば、前述の善良王ルネの所領。これらの土地の守護聖人にマグダラのマリアが祀り上げられたのは、なんらかの意図があってのことだろうか。実はこのルネ王もシオン修道会の総長だったされ、ルネッサンス前夜(科学=反カトリックの時代)の最大のパトロンの一人だったのだ…ルネ王は自分にはイエスの血が流れていると主張したのかもしれないし、ひょっとしたらカトリック=教会権力の転覆を目論む政治的野心を抱いていたのかもしれない。
上記のいずれもが、単なるこじつけと無視することができない。キリスト教とヨーロッパ最大のミステリーを解く鍵がマグダラのマリアであると言える。それほど有名なのにもかかわらず、わからないことが多いのだ。
ところでマグダラのマリアは、パリでも愛されている。ルーブル美術館には裸像や彼女の一生が彫刻された扉などのコーナーがあるし、オペラ座とシャンゼリゼの間には巨大な古代ギリシア・ローマ神殿を模したネオ・クラシック様式のマドレーヌ寺院がある。このように、
宗教美術において、マグダラのマリアはたびたび登場する。聖母マリアが純潔ならば、マグダラのマリアはエロティック担当ってカンジで好まれているなのかもしれない。

写真館>マグダラのマリアを追って前編・後編
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聖女マルタ Ste.Marthe
・エンブレム:水差し、鍵束、ひしゃく、龍
・カトリックによる聖日:7月29日
・守護の対象:料理人、主婦などの守護聖人。
マグダラのマリアの姉で、イエスのために料理を振舞ったとされる。イエスの死後、マグダラのマリアらとともにカマルグに流れ着き、プロヴァンスに伝道して数々の奇跡を起こし、タラスコンの墓所の上にサント・マルタ教会が建てられた(ちなみに、塔の風見鶏が怪獣タラスクになっている)。
ローヌ河の怪獣タラスクを退治したことから、これにちなんだ行事がタラスコンにおいて毎年6月下旬に盛大に行われる。張り子の怪獣タラスクが街中を練り歩く。
タラスコンのHP「伝統祭り」
なお、重い病気に悩んでいた初代フランク王クローヴィス(在位465〜511年)がマルタの墓を詣でると、霊験あらたかでたちまち完治したことを喜び、タラスコンに広大な土地を寄進して一切の課税を免除した。さらに、彼は家臣団とともにキリスト教に改宗し、王国支配を確固たるものにした。
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聖ラザルス(ラザロ) St.Lazare
・エンブレム:杖
・カトリックによる聖日:12月17日
・守護の対象:マルセイユの守護聖人。
聖女マルタおよびマグダラの聖女マリアの兄弟で、聖書によれば、いったん死んだがイエスによって死後4日後に蘇生した。この奇跡によって、エルサレムにおけるイエス信仰を熱狂的にし、ユダヤ教指導者によるイエス処刑の契機となったとされる。イエスの死後、マグダラのマリアらとともにカマルグに漂着し、プロヴァンスで伝道活動をはじめ、マルセイユの初代司教となった。
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聖マクシミヌス(マクシマン) St.Maximin
・カトリックによる聖日:6月8日
主の72弟子の一人。イエスの死後、聖ペテロからマグダラのマリアを託され、カマルグに漂着した後、プロヴァンスで伝道活動をはじめ、エクスの初代司教となった。天使に運ばれた死直前のマグダラのマリアに終油を施し、その遺体をサン・マクシマンで火葬し、そこで一生を終えた。
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聖ケドニウス(シドワーヌ) St.Sidoine
イエスに盲目を癒された。イエスの死後、マグダラのマリアらとともにカマルグに漂着し、プロヴァンスで伝道活動をはじめ、エクスの2代目司教となり、サン・マクシマンで一生を終えた。
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聖女マリア・ヤコベ Ste.Marie-Jacobée
・カトリックによる聖日:4月9日
聖女マリア・サロメ Ste.Marie-Salomé
・カトリックによる聖日:10月22日
マリア・ヤコベは聖母マリアの妹。マリア・サロメは使徒大ヤコブとヨハネの母。イエスの死後、迫害を受けてマグダラのマリアらとともに小舟でカマルグに流れ着いた。他の使徒たちはプロヴァンス各地の伝道に旅立ったが、マリア・サロメと召使サラとともにその地にとどまり一生を終えた。3人の墓所に教会が建てられて、遺骨が納められた(1448年、プロヴァンス伯「善良王」ルネ・ダンジューの命によって、地下納骨堂から2体の遺骨、すなわち、マリア・ヤコベとマリア・サロメが発見された)。そこはサント・マリー・ドゥ・ラ・メール(海の聖マリアたち)と名づけられ、とりわけジプシーにとって最大の巡礼地となった。 |
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サラ Sara
l'Egyptienne
・カトリックによる聖日:5月25日
マリア・ヤコベとマリア・サロメらの召使で、ともに漂着した地にとどまり一生を終えた。褐色の肌だったことから、ジプシーの守護聖人として崇められている。
5月24・25日と10月22日に、サントマリー・ドゥ・ラ・メールでジプシー最大の巡礼祭が行われる。サラをかたどった黒い像をお神輿で担ぎ、海にいれて聖水をかける。
カマルグのHP「ジプシー巡礼」
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アリマタヤのヨセフ Joseph
d'Arimathie
・カトリックによる聖日:3月17日
・守護の対象:葬儀屋の守護聖人
裕福なユダヤ人で、イエスの弟子であることを隠していたが、イエスの磔刑後、ピラトに願い出て、その遺体を引き取って、墓(洞窟)に亜麻布でくるみ、香料と共に葬った。
中世の伝承では、いわゆるアーサー王と円卓の騎士の聖杯伝説と結び付けられ、彼が十字架のもとでイエスの血を受けた聖杯と聖槍を持ってイギリスに渡り、グラストンベリーに修道院を建てたとされた。
また、イギリスに渡る前に、マグダラのマリアらとサント・マリーに漂着したとも伝えられる。一説によれば、シチリア王・ナポリ王・プロヴァンス伯ルネ善良王は、ヨセフの娘アンの血を引くと信じていたとも言われている。
なお、イエスの父ヨセフとは別人であるため、混同しないよう注意したい
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聖トロフィムス St.Trophime
・カトリックによる聖日:12月29日
2世紀末にアルルに伝道し当地の初代司教となった。
パウロの弟子と同一化され、46年に3人のマリアたちをカマルグまで迎えに出たとか、アリスカンに生存中の聖母マリアにささげる礼拝堂を建てたという伝説もある。モンマジュール修道院の礎を築いたとも言われる。
1152年、その聖遺物を納めるサントロフィーム大聖堂が立てられ、中世におけるサンティアゴ・コンポステーラ巡礼路の出発地点となった。プロヴァンス・ロマネスクの代表作で、世界遺産にも登録されている。
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聖レミギウス(レミ) St.Remy
・エンブレム:聖油瓶、鳩、悪魔つきの少女
・カトリックによる聖日:10月1日、ランスでは3月29日
・守護の対象:フランスの守護聖人
440年頃〜534年。22歳でランスの司教となり、フランク王クローヴィスに洗礼を授けるなど、フランク人のキリスト教化に功績を上げた。ちなみに、クローヴィスは家臣3000人とともにカトリック(アタナシウス派)に改宗することで、ガリア全土のローマ系住民の信頼とローマ・カトリック教会の強力なバックアップを受け、アリウス派のゲルマン諸族を圧倒して、王国支配を確固たるものにすることができたという。
なお、彼の名前を冠するサンレミ・ドゥ・プロヴァンスは、もともとグラヌムというギリシア・ローマの町であったが、中世において聖レミギウス修道院に寄進されたため、町名の由来となった。
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聖アエギディウス(ジル) St.Gilles
・エンブレム:書物、雌鹿
・カトリックによる聖日:9月1日
・守護の対象:トゥールーズ、エディンバラ、ニュルンベルクなど。
7世紀末に活躍した、14救難聖人の一人。癒やしの聖人として知られる。アテネの王族出身でありながら清貧を心がけた。ローマを経てアルルに移り、難病治癒などの奇跡を起こした。フランス中に広がった名声を嫌って、荒野の奥深い森で神の遣わした雌鹿と隠修士の生活を始めた。その雌鹿を家臣が矢で射たことをその地の領主が謝り、献金の代わりに壮大な修道院を建てた。イスラムの襲撃を予知した彼はローマに赴き、糸杉の扉を教皇から下賜されると、それをローマの川に投げ込んだ。長旅の末、自分の修道院に戻ると、その糸杉が近くの港に漂着していたため、教会の入り口に取り付けたという。また、天使の奇跡によって、フランク王シャルル・マーテルの懺悔を聞きいれた。
この隠棲生活を送った土地は、サンジル・デュ・ガールとなり、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の中継地点として栄え、上記のロマネスク様式の修道院は世界遺産にも登録されている。
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・聖母マリアと十二使徒

聖人カレンダー
キリスト教の守護聖人たち
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・ロマネスク
10〜11世紀の教会建築様式といえば「ロマネスク」。特に南欧の教会建築や彫刻において有名で、プロヴァンスには、アルルのサン・トロフィーム大聖堂、モンマジュール修道院、サン・ジルの聖堂、「プロヴァンスの三姉妹」と呼ばれるシトー会の修道院(セナンク、ル・トロネ、シルヴァカンヌ)など、素晴らしいロマネスク建築が数多く残っています。
12世紀のパリ中心のフランス北部で発達した、ステンドグラスが特徴の、荘厳で写実的な「ゴシック」とは対照的に、幻想的で枯淡な味わいがあります(その地味さ故に、芸術としての評価は19世紀になるまで待たなければならなかった)。
見どころは、教会正面扉上のタンパンや隣接する修道院の回廊の彫刻。作り手の想像力の豊かさに圧倒されます。中には恐ろしい説話を表現したものや妖怪・怪獣などの類いもありますが、どこかユーモラスで憎めないと同時に、血が通ったぬくもりを感じます。識字率の高くなかった民衆に聖書の教えを説くために、見る側の視線を意識した高さにそういった彫刻を配しました。見て触れて感じてもらう狙いがあったのでしょう。
また、分厚い石壁の建築構造上、窓が小さいため、教会内は薄暗くて静ひつな独特の雰囲気がある。時はちょうど世紀末。「最後の審判」を感じる絶好の演出となったことでしょう。
農業革命でゆとりの出てきた民衆は、世紀末を無事にやり過ごしたことに感謝を示すため、聖地への巡礼を始める。その街道筋には教会が建ち、食事と宿泊施設を提供する。次第に、より多くの巡礼者や民衆を集めて、より多くのお布施を求めるようになる。そのために十字軍が持ち帰ったキリストや聖人の聖遺物が、御本尊として商業利用されたわけです。
ミサや祈りを妨げないようにするため、教会内部に巡礼者用の導線を考えた点も特徴と言えます。 内陣の外側の廊下をぐるりと回りながら、御本尊や彫刻などの美術品を見ることができる仕組み。教会は祈りの場であったと同時に美術館の役割も果たしたわけです。なるほど、時代の要請に即した巧妙な作りといえます。
なお、たいていの教会の入口は西側を向き、祭壇は奥に位置しています。これは、ミサが行われる内陣を東方にある聖地エルサレムに見立てているから。また俯瞰すると、建物自体がラテン十字の形をしているのが分かります。
ちなみに、フランス語では、"romanesque"は「小説めいた」とか「奇想天外な」という意味に使われ、ロマネスク様式は"roman"といい、「ローマ風の=古臭い」という意味で後世に名付けられました。「古代ローマの」を意味する"romain"と間違えないようにしたい。

フランス・ロマネスク教会の建築と彫刻
フランスのロマネスク建築と美術
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12世紀から13世紀にいたる、イタリア、フランス、ドイツ、スペインといった西ヨーロッパ世界に強大な勢力を誇った、キリスト教の異端。ローマ・カトリック教会と教皇の権威を否定して対抗した。
南フランス(特にローヌ河左岸のトゥールーズを中心としたラングドック地方)ではアルビジョワ派と呼ばれ、温暖な気候と農作物恵まれたや高水準の文明の独立国であることもあいまって、カタリ派の楽園だった。
その教義において、世界には善神と悪神の2種類の神がいるとし、前者は光と真理、後者は闇と虚偽を現す 。
このカタリ派の思想は、一神論を教義とするローマン・カトリック教会にとって脅威であり、また十字軍の失敗により矛先をどこかに向ける必要に迫られていた教皇は、領地拡張をもくろむフランス王ら北方諸侯に呼びかけ、アルビジョワ十字軍が始まった。トゥールーズ伯領はフランス王領をも凌駕する広大で恵まれた土地であったため、政祭両者のもくろみが一致したわけである。
結果、カタリ派は制圧され、フランス王領は一気に地中海まで拡大した。


カタリ派 - Wikipedia
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| プロヴァンス 碧い海と碧い空と… |
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| 田辺 保 |
恒星出版 |
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大阪市立大学名誉教授の著者が、前半部分では「ローマ時代」「キリスト教伝来」「中世」といった歴史や、後半部分では「ペトラルカ」「ミストラル」「ドーデ」「パニョル」「ジオノ」といった文学者などを通して、プロヴァンスの魅力を丁寧に紹介。マグダラのマリアについても。
プロヴァンスの入門書として最適。旅行ガイドの次に買うならこれ。リピーターや留学生は必携。
ちなみに、イラストを担当した娘さんの作品は、Keiko
Tanabe Web Siteに続々発表されている。
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| 守護聖人 聖なる加護と聖人カレンダー |
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| 真野 隆也 |
新紀元社 |
| 特定の職業や国・地域・都市などを守護する聖人や、プロヴァンスとなじみの深いマグダラのマリアやマルタに関するエピソードやエンブレム(宗教画などでどの聖人か見分けるための特徴)が、「芸術と学問の守護聖人」「女性たちの守護聖人」といったジャンル別に紹介されている。巻末にはローマン・カトリックによる聖人カレンダーが付いていて、1年365日がどの聖人の日にあたるかが一目でわかる。 |
マグダラとヨハネのミステリー
The Templar Revelation,Secret Guardians of The True Identity
of Christ |
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| リン・ピクネット&クライプ・プリンス(著)、林 和彦(訳) |
三交社 |
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ベストセラー「ダヴィンチ・コード」のネタ本。初期キリスト教に関するミステリーが流行となっている中、本著は西欧の秘教的団体、思想、伝承における、マグダラのマリアと洗礼者ヨハネに対する熱烈な崇拝に着目し、レンヌ・ル・シャトーの財宝の謎(聖杯伝説)にも迫りながら、カトリックから異端とみなされた、「もう一つのキリスト教」を明らかにする。なお、プロヴァンスは「マグダラのマリアの国」として紹介され、マグダラのマリアの遺骨を御輿にするサン・マクシマンの祭り、ジプシーの信仰対象の黒い聖母像、中世の一大勢力テンプル騎士団について考察している。プロヴァンスにはキリストの死後にマグダラのマリアたちが流れ着いた伝説が残っていたり、プロヴァンスの守護聖人はマグダラのマリアと洗礼者ヨハネだったり、ローヌを挟んだ対岸は異端カタリ派の楽園だったり…正統派から抹殺された人たちの土地であるわけだ。
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| テンプル騎士団の謎 |
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| レジーヌ・ペルヌー(著)、池上俊一(監修)、南條郁子(訳) |
創元社 |
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プロヴァンスをはじめ南仏には寄進荘園がたくさんあったし、プロヴァンス伯は13〜15世紀まで名目上とはいえエルサレム王の称号も兼ねており、テンプル騎士団とは無関係ではない。実際、マルグリット・ド・プロヴァンスは夫である聖王ルイ9世とともにエルサレムに遠征している。
本書では、怪しげな憶測やオカルト的な伝説を排し、テンプル騎士団の成立・発展・活動・最期を、あくまでアカデミックな立場で解説。また、絵で読む世界文化史シリーズらしく、写真や図版をふんだんに使って理解しやすい工夫がしてある。翻訳も全く淀みがなく、テンプル騎士団の基本知識はこれ一冊で十分に押さえられる。
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| 世界歴史の旅 フランス・ロマネスク |
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| 饗庭 孝男 |
山川出版社 |
| 豊富な写真と明快な説明で10〜12世紀の中世ヨーロッパの歴史とロマネスクに関する理解が深まるとともに、フランス各地のロマネスク教会が紹介されている。プロヴァンス地方においては、「サン・トロフィーム大聖堂」「サン・ジル・デュ・ガール教会」「モンマジュール修道院」「ル・トロネ修道院」「シルヴァカンヌ修道院」「セナンク修道院」などが詳しく紹介されている |
ヨーロッパの文様辞典
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| 視覚デザイン研究所 (編集) |
視覚デザイン研究所 |
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文字よりも古い歴史をもつ人間の発明「文様」。
それぞれに意味や時代の好みがあるようだが、日本人の私にはチンプンカンプンだ。
本書は、動植物、幻獣、人物といったヨーロッパ諸国の工芸品などに使われている様々なモチーフを、ササン朝からアールデコまで網羅。写真や解説図をふんだんにつかってテーマ別・時代別に分類し、さらに時代背景やルーツまで詳説されているため、基礎知識が深まる。洋の東西の共通点や相違点も、興味深い。
大判であるため持ち運びには向かないが、例えばヨーロッパ旅行で出会った文様を帰国してから調べるための参考資料として、ぜひ手元においておきたい一冊だ。パラパラと眺めているだけでも、人間の想像力を巡る旅のようで、面白い。
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| キリスト教暗黒の裏面史 |
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| ヘレン エラーブ (著), 杉谷 浩子 (翻訳), 井沢 元彦 |
徳間書店 |
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欧米文明の根本とも行くべきキリスト教。その輝かしい発展の裏には、知られざる暗い歴史が隠されている。カタリ派や魔女狩りが例外なのではなく、この一神教は他者を一切認めない。自分たちのルールに従わない人々を異端・異教としてせっせと排除してきた2000年に及ぶダークサイドを、時系列に暴いていく。とはいえ、いたずらにキリスト教を否定しているわけではないため、初期キリスト教の活動や正統キリスト教の成立過程を知る上でも、現代の西洋主導の社会を考える上でも、非常に参考になる。キリスト教になじみの薄い日本はもちろん、信仰厚い西洋でも中々こういった本には出合えないだろう。
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まだまだオススメ本あります→プロヴァンスに関する本
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